ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

星の子とわたし

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信仰。

(日常に溶け込むということ。

信仰だとか宗教っていったい何なんだろうなと思う。その概念。

現代まで生き残り、ここまで長い歴史があることを思うと、人間にとって切り離せないものなのだろう。

わかるような、やっぱりわからないものだ。

 

9歳の誕生日に長野の松本で起きたカルト集団の事件は衝撃だったし、おかげで宗教のイメージはイコール怖いもの、危険なものと植え付けられたように思う。

 

けれども、じゃあ祖父母が信仰していた宗教は?

お正月をはじめ節目節目で神社へお参りに行ったり、祈ることは何なのだろう。何がどう違うのだろう。

否定するのかと聞かれるとそれは違うよなあと。

 

映画では、ごく普通の、善良な一般家庭にどう新興宗教が入り込んでいくのかが描かれるが、

きっかけがあって、追い詰められているところに偶然が重なって、そして次第にゆっくりと、けれども確実に日常に溶け込み蝕んでいく様は、

宗教に限らず家庭内で繰り広げられる暴力も、その仕組みや構造(特に日常に溶け込む部分)は同じだなあと思った。

 

 

芦田愛菜さん演じるちひろの姉が選択した道、両親と決別し家を出るという選択。

彼女が伯父と共に両親の洗脳を解こうとした際に、衝動的に親をかばう行動に出てしまったこと。その心境。

ちひろが優しい両親の行動に疑問を持ち、やっぱり「おかしい」と自覚しながらも、彼らのもとを離れる選択を”今は”しないこと。

 

彼女たちにとっては大好きで、愛している存在だ。
優しい両親だからこそ拒絶しきれない葛藤。彼らが徹底的に最低最悪な人間だったらどんなに楽かと思う。
嫌でも感じる他所の世界とのギャップ。

これは相当傷つくよ子どもは。

計り知れない苦しみがそこにはある。

 

 

最後の流星群のシーンで、流れ星を一緒に見ようとするも、

両親が見れたときは、ちひろは見れず、ちひろが見れたときは両親は見れなかった。

 

途中、家を出て音信不通だった姉が出産をし、子どもが居るとわかるシーンがあったが、

このシーンを挟むことで、こういう道もあるんだよ。ほかにも道はあるんだよ。と示したのではないか。

 

両親と早々に決別した姉と違ってちひろが家を出ないのは、

自分の身体の弱さがきっかけで、優しい両親が新興宗教の道に進んでしまった負い目のようなものがあるからだろう。

 

結局”3人同時”に流れ星を見れないまま物語は終わったが、

 

「同じ世界に居て、同じものを見ているはずなのに、見れない。」

のは、

信仰をこれからも続けていく両親と、

信仰はしないけれど、今後も両親と共に生きていくちひろの、

”これからの関係”を表現しているのだろうとわたしは解釈した。

 

ゆくゆくはちひろも、大人になったら姉のように徐々に両親から離れていくのかなと思う。…いや、離れられるといいな。か。

これは、自分の道を自由に生きてほしいというわたしの希望的観測だ。

 

 

なんだかよくわからない物事であふれているけれど、

ただわからないままに拒絶するでもなく、受け入れるでもなく。

知らないことを知り、学び続ける。

行きつく先はやはりこれだ。