ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

距離感とわたし

灯台下暗し。

(ありがたきアドバイス

とある方の文章を読んでいて、ああ…!と思った。

人それぞれ優位に働く・使っている感覚(器官)が異なるという話。

 

コミュニケーションの取り方一つとっても、全てではないにせよ、当てはまるところがある。

 

大きく分けて3つほどあるそうなのだが、自分はどの感覚を使っていて、相手はどうなのかを過去のコミュニケーションを思い返しながら考えてみると、腑に落ちたのだった。

そうか。灯台下暗しだ。

(それはそうと、味覚と嗅覚は補助的役割なのかな。それとも単にサンプル例がこの3つと比較して少ないだけなのだろうか。)

 

良くも悪くもその分野の色にほんのり染まっていていたのだなあ。

どこか一つでも理解しようと、相手の背景やクセ、その人が自分で創り上げてきた物語を想像しようとしてしまうのだけど、

そんなまどろっこしいことじゃなく、おっしゃる通りもっとシンプルで単純なことかもしれない。

 

この先一切付き合わずとも済むような、うんと距離が遠い相手であるならば、

「あっ、われわれはこれ以上一緒に居ても不快9割9分9厘、そして愉快0.000…1程度だろうから、利害が一致ということで、お互いとっとと離れた方が賢明かと」などと言いながらさっさと立ち去れるのだけれど、

それが出来ない、今後も付き合っていかねばならない(ねばならないとか言っちゃってる時点で。苦笑)相手である場合、

極力距離を置くのはもちろんとして、もうちょっとどうにかならんかなーなどと、

これまた面倒くさい魔人を何とか押しのけて考えていた矢先のこのヒント。

非常にありがたし。

 

使っている感覚の違い。

 

いきなり手を握るだとか、大好き!の連呼とか、おいおいおいおい初対面初対面。

わたしの何を知っている??わたしはあなたのこと何も知らない。これから関係を構築していくのでしょう??

 

わかる部分もあるよ。かつてわたしも好きが溢れすぎて、相手の状況なんかまるで考えず伝えずにはいられなかったことがあるもの。

20代前半の頃の話だけれども、どうしたら好きになってくれるだろうか。とかね。

 

けれども、もし、その「大好き」の使用意図が、「これだけ盛大に愛を伝えているのだから、あなたも同等以上のものを返してね。」というものだとしたら、

それはとんでもなく大きな間違いだし、愛でもなんでもないし、少なくともわたしはすたこらさっさと逃げ出すよ。怖すぎるもの。

 

わたしにはわたしの大切にしたい距離があるし、わたしは自分のことも相手のことも尊重したい。

それでも、境界突破をしようとしてまで追いかけてくるとしたら…。

わたしは逃げるのをやめ、立ち止まって真正面から拒絶します。

境界線はより一層濃く強固になるだけ。

 

その距離感やコミュニケーションの取り方に冷や汗が滝のように流れたついぞ先日。

ぶわーーーっと一方的な熱量で、好きの大盤振る舞い(という名の押しつけ)をしたかと思いきや、

事実を並べても言葉で伝えても「嫌われてる。」などとのたまうものだから、

さすがに堪忍袋の緒が切れるってもんで、いい歳こいていまだにそんなことを言うアンポンタンのどこを好きになれますかってんだよ。嫌いの要素が膨らむばかりだよ。むしろ早く無関心になりたいよ。

それを野放しにして加担しているもう一人の誰かさんに対してはもっとだ。

 

どこでもかしこでも繰り広げられているゲームには、いちいち付き合ってられない。

 

などと9割ほどなりかけていたので、見知らぬ(けれども、20代の頃から拝読させていただいております。)文章の書き手さん、本当にどうもありがとうございます。

 

それを踏まえた上で、あとはわたしがどう工夫していくか。わたしはどうしたいのか。

今すぐどうこうは考えたくないので、そこから離れる時間が必要なのだろうし、

まあ、ぼちぼちゆっくり取り組んでいくよ。