ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

選ぶ自由とわたし

同じ事象をどう捉えて行動するか。

(わたしはどうしたいだろう。

不平不満愚痴もいい加減にしないと、どんどんドツボにハマっていく。挙句人を陥れるような行動にまで出る。

ぎょろぎょろと他人の動向を追っては、ずるいだのなんだのと文句を垂れるが、

じゃあそういうあんたはどうなのよ?というと、やるべきことをやらず、それを指摘すれば言い訳、開き直り、不貞腐れのトリプルコンボである。格ゲーか。

己の権利ばかり主張するのは良いが、ではいったいあなたは何を果たしているのか。

 

やろうと思っていたけれど、出来なかった。→くっちゃべって茶ぁしばく時間はあったのに?出来なかったのなら他の日でもできたよね?申し送りは????

忘れてた、という名の都合の良い口実よ。

 

…ツッコミを入れようと思ったらいくらでも出てくるけれど、齢50も過ぎた人間にそれを言ったところで変わらないだろうし、

今までもずっとそうしてきたのだろうから、自分に直接関わってくる事以外は距離を置くのみである。

 

また、そんな人あるあるだが、自分よりも出来ない(と、これまた一方的に決めつけている)人がちょっとしたミスをしたり、作業に時間がかかるのを見てはバカにしたり、

大きな声で「あの人はいっつもそう。出来ないから」と周囲にアピールをする。

 

これはいったい何アピールだろう。

 

人を陥れているつもりなのかもしれないが、わたしには自分のコンプレックスを隠したいがために意識を他所に向けさせようという自虐行為にしか見えない。

やればやるほど当の本人の株がダダ下がるだけだ。

そらー自分で向き合わなけりゃ自信なんて一向につかないし、コンプレックスも膨らむ一方だろう。

 

そんな人間を見ては疲弊する一方、スポーツの分野で講師業をしているある人を見て、心にじんわり栄養が入る。(ささくれてた分、いつも以上に沁みて泣きそうになったよ。うう

 

わたしから見たら何でもできるスーパーウーマンなのだけれど、

知識や技術のブラッシュアップは当然のことながら、不得意な人の気持ちや感覚を少しでも理解しようと、自身が苦手だと思う分野にも挑戦し、

そこで苦手や不得意ならではの感覚を得ては、不得意な人に対する接し方を工夫している人もいる。

 

こういう人も確かに居るのだ。

 

もうね、どうしたって比べるし、どちらを尊敬するかってどう考えても後者なのである。

年齢を重ねれば重ねるほど、その差はうんと開いてゆく。

この域にまで行けたらどんなに良いだろう。

 

自分の境界内に入れるならこんな人。影響を受けたいのはこういう人。

何をどう捉えていきたいのか。

 

それらを自分で選べる自由を、誰しもが持っている。