ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

おふくろの味とわたし

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大根があるじゃろ?

鶏ひき肉があるじゃろ?

それだけでも十分うんまいが、冷凍しておいた生シイタケと、大好物の厚揚げも入れるじゃろ?

そしてこうじゃ!

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錬成完了。

(大根のそぼろあんかけ。頭がふわふわしてるなーってときは、根菜を食べたくなる。地に足がつくから良き。

「おふくろの味」ってなんだろうなあと、作ったおかずをタッパーに詰めながら考えている。

そんなものは実は幻想らしいのだが、味覚の記憶を掘り起こしてみると、わが家の定番の味は容易に浮かぶのだった。

今こうして自分が作る料理だって、作ってもらった記憶や原体験があるからだし、おいしい、を知らなければそもそも作ろうとは思わない。

苦手な食材についても、切り方や調理の仕方によっては食べられることがわかったのは、母をはじめ美味しい料理を提供してくれた人たちのおかげだ。

 

わたしは”料理を教わる”という目的で、母と並んで台所に立った記憶はほとんどない。

あるのは、「何を作っているんだろう。」と、母の動きを目と耳と鼻で追っていた記憶だ。

共に台所に立つといったら、もっぱら田舎帰省時に大勢集まる親戚のご飯支度の時や、

超腹ペコ!二人でやれば早くご飯にありつける!といった時だ。

勉強を始め、料理他家事を強要されたこともなく甘やかされて育ったが、それでもある程度の、最低限の事が出来るようになったのはなぜか。を考えると、

やっぱり単純に食べることや家のことが好きで、興味関心があっただけ。

そしてクソみたいなプライドがあっただけだ。これが一番大きんじゃ…(←親子喧嘩で、「○○をしない・出来ないくせに文句を言うな」とツッコまれ、確かにその通りでぐうの音も出ないことが悔しくて。「言われたくねぇ!から、やったろーじゃん!!」というクソプライド。)

 

そして、実際にやってみて、失敗や成功を重ねながら徐々に出来るようになり、それを繰り返すことで最終的に脳みそを通さずとも出来るようになる=「身につく」ところまでいく。

興味関心がなくとも、必要に迫られて、ということもあるだろう。

 

一人では到底食べきれない量かつ冷凍保存が向かないおかずを作った時は、実家に持って行っておかず交換をしているが、母とおかずが被るから面白い。だもんで、事前連絡は忘れずに。

 

山形のおっちゃんたちから山菜料理が届くシーズンになってきたが、

わたしにとっての「おふくろの味」は、母に限った話ではないんだよなあ。

自分の味覚形成に大きく関わってきた人たちを思い浮かべながら、

彼らが生きている間に、真似しようにも自分では再現できない料理のコツを教えてもらおうと思うのだった。