ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

育むとわたし

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かまってちゃん。

(寂しん坊の甘えん坊。

人間だったら(以下略)だけど、ロー君なら「んもう仕方ないなあデレデレ」と、とことんお相手をして彼が疲れて眠るまで遊び倒す。(デレ顔で。汗だくで。

Twitter上でよく見かける、猫飼い主さんたちの嬉しいような切羽詰まったような悲鳴はこれかーと理解したよ。

わたしがお世話をしているのは、今のところ植物だけだけれど、
これが昆虫や動物、そして人の子となったら、それはそれは相当な覚悟が要るだろう。

両親と、「うちらには動物を飼う覚悟はないね」と話をしていたが、
それは、いつか必ず訪れるであろう”寿命を全うする日”を考えたくないからだ。
とても無責任であり、そんな人間に命を扱う資格はない。

生き物に対して本当に愛情がある人は、最期まで見送る覚悟のある人だ。
責任と誠意は当然のこと。



母が興味深い話をしていたのだけど、

「もし子どもが、自分たち親よりも寿命が短い生き物だったら、
子どもを産もうとは思わなかったかもしれない」

だそうだ。なるほどなあと思った。

若いころはそこまで考えが及ばなかった。とも言っていたけれど、
もし子どもの方が寿命が短いとわかっていても、彼女は子どもを迎えていたと思うよ。

母がいまの年齢になったからこそ感じることがあるのかもしれない。

わたしにとって”喪失”というのは一番辛く苦しいことで、
そんな思いをするくらいなら、最初から出会いたくもないし、関わりたくもないと思っていた時期があった。

逃げである。

だけれど、いくつか乗り越えて感じたのは、何があってもお腹は空くし、眠たくなるし、排泄だってする。
自分がいくら苦しいと思っていたって、生命活動を続けようとする図太さがわたしにはあるのだ。

あなたは見送る人だよ、と言ったのは誰だったか。

その時は、正直ふざけんなよと思ったけれど、
あながち間違いではないのかもしれないと思えるようになった。

そして何より、喪失が嫌だからと言って、
育めたかもしれない楽しく嬉しい記憶や経験を、最初から摘むのは違うのだ。
ましてや育んできたことを無かったことにするなど、相当な大バカ者だと思う。

「人(との関係)ではなく場を育てると良いよ」

と教えてもらってからは、大分気持ちが軽くなった。

つい先日も似たような話を聞いて、その時の感覚がよみがえった。

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