ひとりゴチるブログ

つぶやき以上、日記未満。日々の成長記録。

ハイキングとわたし3

無題

すっきり快晴!

(ただいま飯能周辺を攻略中。

新型ウイルスの影響で、ジムや図書館にも通えず、
つまらなさそうにしていた父。

家でジッとしていられる人じゃないしなあ…ということで、
気分転換にハイキングに誘ってみたところ、すっかりハマったもよう。

当初ひとりで始めた遠足やハイキングも、気が付いたら色んな人を巻き込んで、毎週の楽しみになった。


身体をめいっぱい使う気持ちよさ。

いまのところ低山をゆるりと楽しんでいるが、
それでもキツイ場所はあるもので、途中「しんど(い)!!」と叫ぶこともある。

が、

頂上にたどり着いたときの清々しさを味わうと、しんどさや疲れなど一瞬で吹き飛ぶ。

ラソンや筋トレもそうで、ゴールを目指している最中はしんどいけれど、
一度でも達成した爽快感を経験すると、やみつきになる。

他にも達成感を味わえることはあるが、”運動”はまた別モノのように感じる。



ゆったり呼吸し、目や鼻や耳や皮膚を使って一歩一歩山の感触を確かめていると、
高い位置から自分を見下ろしているような感覚になる。

自分の身体を使っている自覚は確かにあるのだけれど、
どこか他人事のような感覚。映像を見ているような感覚。

わたしはこれを「なんちゃって幽体離脱」と呼んでいて、
うっかりしていると普段も離脱してしまうのだが、
車の運転中にこの感覚になると非常に危険なので、発動しないように気を付けている。(ので、どちゃくそ疲れるし、運転はやっぱり怖いし嫌いだ。

そして、時の流れは一定ではないことがよくわかる。
連続性があるように見えて(見せて??)いるだけで、
飛んだり繋がったり、どちらかというと点に感じるのだ。



さて、低山でヒィヒィ言うてるわたしだが、
現在の目標は、富士山登頂である。

弟の産土神社の総本宮富士山本宮浅間大社なのだけれど、
ご挨拶をしに山頂まで行ってみたくなったのだ。

両親は若いころ8合目まで登り、弟は最後まで登った経験を(いつの間に!)しているが、わたしだけが未経験。

両親も、足腰が元気なうちに再挑戦したいと言うので、
来年目標で身体を作ろう!と話している。

大きな目標を達成するために、まず目の前の小さな目標を達成すること。

自然はその当たり前の地道さを、飾らない姿で教えてくれる。